えばたリサイクル

旧ブログのリサイクルです。

今回Optio S40を持って歩いたわけですが。

 サブカメラとしてOptio S40を持って歩いて、*ist Dを出すまでもないかーとかちょっとしたスナップにーと思ったときに使ったわけです。
 そしたらね、列車の車内とかちょっと太陽が翳ったりとか建物の陰とかになった途端、シャッタースピードが1/20secとかそれ以下になったりするんですよ。これまで同じ用途に使っていたのが200万画素クラスのPowerShot A60とかDMC-FZ1とかC-2100Ultra Zoomとか*1で、そんなシャッタースピードが気になって…な場面なんてありませんでした(この際2100UZの手ぶれ補正はおいといて)。
 ってーことはですよ。まがりなりにもわたしの場合はやはりシャッタースピードを見るまでもなく(見ればもちろん)カメラのホールドには気を使って、何とかぶれないよう努力します。でもコンパクトデジカメといえばスリムなのが主流になって*2オージービーフ持ちして撮ってるようなごく普通の人たちにとっては、撮ってるときに手ぶれなんて気にもとめず、後から撮影した画像がぶれだらけ…ってことはないんでしょうか*3
 ベース感度がISO換算で50ってのが当たり前ではさもありなん…なんですが、それは果たして正しいのか?って感を今回新たにしました。銀塩でなら高感度フィルムを使えばいいだけのこと…というかISO400使うのって別に当たり前、旅カメラの最右翼たる「写ルンです」にはISO800やISO1000の製品がありますし、それが実用になるほどにフィルムの性能は向上しています。じゃあデジカメでも感度を上げればどう?っていうのは実際やればわかりますよね。それにコンパクトデジカメの「ISOオート」っていう程オートじゃないですし*4
 だとすると、デジカメのいわゆる「進化」の方向は「画」を記録する方向とは違うあさっての方向に向いてないかと思うのですが。いまさらわたしごときが言う事でもなければ、言った所でどうしようもないんですが。
 ハード的などこがどうとか言い出すとキリがないのですが、せめてフツーに使ってマトモな絵が撮れるカメラであることが当たり前でないと、デジカメは自分で自分の未来を閉ざしてしまう…そう思います。
 新しい技術を開発するもよし、枯れた技術突き詰めるもよし、昔に立ち返るもよし。つまらん数字争いじゃない「進化」を、カメラ好き&デジタル好きなわたしは切望してやみません。

 で、とりあえずどうしよう?

 今回の件でOptio S40にはかなり興ざめしちゃったしなあ。両親に接収されたPowerShot A60奪還してくるか…。それとも中古でかつての良作を探してみようかな…。今更ながらFZ1売らなきゃ良かったかな…なんて後悔してみたり。
 手ぶれ補正を積んだパナのFXシリーズにも魅力は感じますが…。

*1:素数は同クラスだが画素の大きさが違うので同じように…とはいえませんが

*2:じゃなきゃ「ちゃんと持てる」がキャッチコピーになる筈がない

*3:高画素がゆえの細密さで誤魔化されたりプリントしてもL判ぐらいだから相対的に目立たないだけだったりとかあるかも。

*4:ホイホイ感度上げてしまうとアラまる見えるだから?